きまぐれブログ

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【上高地③】嘉門次さんが建てた、小屋の話。

 

 

   こんにちは、ONIONです。

 

 

 

   今回の記事で「上高地」はラストになります。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。まだ前回の記事を読んでいない方は、こちらの記事から読んでもらえると有りがたいです。

 

onion1124.hatenablog.com

 

 

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・「明神橋」周辺で散策

   
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   河童橋からずっと歩きっぱなしで、だいぶ疲れが溜まってきたので、まずは明神橋の近くに休憩できる所はないかと探しました。すると近くに、食事をできるところがあったので、そこで休憩しました。

 

 

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    今調べたら、「嘉門次小屋」というお店の名前のようです。そこで、ざるそばを注文したのですが、本当に美味しかったです。川のせせらぎを聴きながら、木々に囲まれて食べることで、より一層美味しく感じました。

 

 

 

 

・「嘉門次」って何?

 

   嘉門次という名前はどこから取ったものなのか、個人的に気になったので調べてみました。上條嘉門次という人物がいたみたいで、その人の名前から取ったようです。

   上條嘉門次は「ガイドウォークの先駆者」と言われています。日本近代登山の父である、ウォルター・ウェストンの山案内人として知られているようで、上高地といったらこの人というぐらい、有名な方のようです。

 

 

 このウォルター・ウェストンという人物は、日本アルプスの名を世界に広めた、イギリス人宣教師です。現代では、「山ガール」といったように、登山を楽しむ文化が日本に浸透しています。ウォルターは狩猟や山岳信仰のための登山だけでなく、単純に山に登ることの楽しさを日本に伝えた人物です。

 

 

 そんなウォルターが日本の上高地に訪問した際、この「上條嘉門次」が彼の案内人を務めました。嘉門次は、上高地猟師をしていたそうです。そのため山全体の地形を熟知していたため、政府から山案内人を任されたそうです。それ以降、嘉門次は多くの有名人を山に案内していき、その名が広まっていきました。

 

 

 「嘉門次小屋」は彼が32歳の時に、明神池のほとりに小屋を建てたことが始まりのようです。もともとは猟小屋として建てた山小屋が、いつの間にか登山家たちの「憩いの場」になったんですね。

 

 

 

…話が脱線してしまいましたが、明神池の方まで歩いてきた場合は、ぜひここで休憩することをお勧めします。囲炉裏で焼かれたイワナの丸焼きなんかも美味しいそうなので、訪れた際は食べてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 嘉門次小屋を後にし、穂高神社奥宮でお参りをして、再び河童橋まで戻りました。帰り道は正直、疲れがたまっていたので、景色を楽しむ余裕は無かったです…。この日、私は街歩き用の靴で来ており、「なんでこの靴で来たんや」「自分、アホちゃうか」と自分自身にツッコミを入れながら、トボトボと歩いて帰りました。(自分のアホさを再認識できました)


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 こんな靴で山歩きしていたら、登山家の方に「山、舐めんな」とか思われそうですが…ごめんなさい、舐めてないんです。ただ単純に私がアホなだけです。次回、上高地に訪れる際は、ちゃんとした靴で装備マックスで行こうと思います。

 

 

 

 以上、「上高地に行ってきたよ」という報告でした。(誰得?)

最後まで読んでいただき、有難うございました。

また、次の記事でお会いしましょう。