【切通し】「世にも奇妙な鎌倉の地形」
こんにちは、ONIONです。
突然ですが、「切通し」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?前回の記事で、「極楽寺駅」で途中下車した時の話をさせてもらったのですが、実はその「極楽寺駅」のすぐ近くに「切通し」と呼ばれるものがあるのです。今日のテーマは「切通し」でお話ししていこうと思います。最後まで読んで頂けると嬉しいです。
・「切通し」とは何?
そもそも、「切通し」とは何かという事ですよね。
切通しとは、山や丘を切り開いて人工的に作った道のことを言います。
鎌倉周辺にはそういった地形が多くあります。
写真を見てもらった方が想像しやすいかもしれません。こちらの写真は今回の旅で、「極楽寺駅」で降りたときに撮影したものです。こちらの道は、人の手によって作られたもので、現在の道路の部分もかつては土砂で覆われ、その上に木々が生えていたということです。このような道が「極楽寺」から「由比が浜」まで続いています。「極楽寺坂」という名前が付いていて、『ブラタモリ』でも以前取り上げられていました。
・「鎌倉七口」について
鎌倉にはそんな切通しがいくつも存在し、特に有名なものを「鎌倉七口」と呼んでいます。鎌倉駅を中心にして、7つの切通しが点在しています。
「朝夷奈切通(あさいなきりどおし)」
「名越切通(なごえきりどおし)」
「巨福呂坂(こぶくろざか)」
「亀ヶ谷坂(かめがやつざか)」
「化粧坂(けわいざか)」
「大仏切通(だいぶつきりどおし)」
そして「極楽寺坂(ごくらくじざか)」
・「切通し」を作った目的は?
歴史的な話になりますが、源頼朝が鎌倉に幕府を開いたことはご存知だと思います。では頼朝さんはなぜ、鎌倉を選んだのでしょうか?諸説あるとは思いますが、「地形で選んだ説」について今回触れておこうと思います。
かつての鎌倉幕府は、現在の「鶴岡八幡宮」のあたりに位置していました。図のように、北東西は山に囲われ、南は由比ガ浜という地形になっています。勘のいい人はもうお気づきですね。この様に海と山に囲まれることで、敵の侵入を防ぎやすい地形になっていました。「地の利」を得るために、この場所を選んだという事です。
そして、物資運搬のために山などを切り開いて作った道こそが、「切通し」という事です。当時は、まだトンネルを掘る技術が発達していなかったので、切通しで道を作る手段が広く使われていたそうです。
切通しは戦略的にも都合の良い地形になっており、道幅が狭く、数人ずつしか同時に通れなくなっています。つまり、切通しを通って攻めてくる敵に対して、鎌倉側の兵士は有利に戦うことができます。敵が切通しを通過しているときに、切通しの両脇から攻撃するという戦い方もできてしまいます。まさに要塞、恐るべし鎌倉幕府。
鎌倉七口は鎌倉幕府が滅んだ後も、時代を経て、修復を重ねながら頻繁に利用され、住民の交通ルートとなっていきました。一見、ただの道にしか見えない場所も調べてみると、面白い歴史が潜んでいる場合があります。今回、「切通し」について調べたことで、「地形の成り立ちを知ることの面白さ」が少しわかった気がします。日常の何気ないところに目を向けることも、実は大切なのかもしれませんね…
いかがだったでしょうか。「切通し」、「地形の成り立ち」の面白さについて少しでもお伝えできていれば幸いです。皆さんもタモリさんになったつもりで、身の回りの地形を観察してみてくださいね。
「次に奇妙な世界の扉を開けてしまうのは、あなたかもしれません…」
(by タモリ)