【生きてるだけで丸儲け】「施餓鬼」に初めて行ったときの話。
こんにちは、ONIONです。
先日、「施餓鬼(せがき)」というものに行ってきました。毎年行かないといけないようで、今までは両親が行っていたんですが、「アンタにも覚えといてもらいたい」という事で、今年初めて行ってきました。今日は、その日の事を記事にしていこうと思います。
ご存じの方も多いと思いますが、簡単に「施餓鬼」とは何かお話しておきます。施餓鬼とは、お盆の時期に行われることが多い仏教行事の一つです。お盆は亡くなった先祖や親族を迎え入れて供養しますが、施餓鬼はちょっと違った意味合いがあるようです。
「施餓鬼」の餓鬼とは、亡くなった後に餓鬼道に堕ちた人の事を示す言葉です。(少しニュアンスは違うかもしれませんが、地獄に堕ちた人と私は解釈しました。)餓鬼は常に飢えに苦しみ、もがき苦しみながら生きているようで、そんな可哀そうな餓鬼に食べ物を捧げて、供養しようというものみたいです。
先祖や親族の供養だけでなく、こうした餓鬼も供養して徳を積むことで、自分が将来、極楽浄土に行けるらしいです。堅苦しく書いてきましたが、「施餓鬼」の意味合いはこんな感じです。
・「施餓鬼」の流れ
私も世間知らずなもので、今回実際に行くまで、施餓鬼なんて聞いたことも無かったので、完全に知識ゼロの状態で不安でした。頭の中では「せがき」の状態だったので、和尚さんに何かありがたい言葉でも書いてもらってそれを持ち帰る行事なのかなって勝手に想像していました。
しかし実際経験してみると、こんなもんかって感じでした。(失礼)
特に難しい作業もなく、最初にお焼香を済まして、あとは和尚さんのお経をジッと聞いているだけでした。たぶん全体を通して30分ぐらいで終わりました。一つ失敗談として、珠数を持っていくのを忘れました(汗)
これは普通に恥ずかしかったです。周りが数珠を手にぶら下げている中、私だけ持っていなかったので…。結構年配の方が多く、若い人が私だけだったので、さらに目立っていましたね。(哀れな私をそんなに見ないで!)まあ、今後の良い教訓になりました。
・幸せの「はひふへほ」
お経が終わった後に、広い応接間に移動し、そこで和尚さんの話を聞く時間がありました。お茶菓子なんかも出てラッキーなんて思っていると、早速、和尚さんのお話が始まりました。幸せの「はひふへほ」という話でした。最後、それだけ紹介します。
は …「半分で良い」
ひ …「人並みで良い」
ふ …「普通で良い」
へ …「平凡で良い」
ほ …「程ほどで良い」
確かにそうだなと思いました。人間の欲って限界が無いので、どっかで満足しないと一生幸せを感じることができないですもんね。「足るを知ること」はやっぱり大切だなと教えられました。本当は生きているだけでも、幸せを感じないといけないのかもしれませんね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。